高遠コヒガンザクラ

高遠コヒガンザクラ
 「天下第一の桜」と言われている高遠小彼岸桜(高遠コヒガンザクラ)は、小振りでピンクの強い可憐な花を咲かせます。
  雪を頂いた中央アルプスや南アルプスの山並と青空をバッグに、城址公園の一面 をピンクに染める桜は見る人を圧倒させます。
  池や起伏のある公園いっぱいに咲くこの桜は、マメザクラまたはキンキマメザクラと、エドヒガンの交配種の一系ですが、平成2年4月20日に高遠で行われた「国際さくらシンポジウム」で、桜研究会の林弥栄会長により、コヒガンザクラとしては新種で、高遠固有の種類であるとして命名された貴重な桜です。高遠城趾の桜は、日本さくらの会選定の「さくらの名所100選」の一つに選ばれ、長野県の天然記念物に指定(昭和35年2月)されている桜の名木です。桜憲章の中では、「門外不出」として、町民であっても手にいれられないほど、大切に守られている桜です。

 この桜はぱっと咲いてぱっと散る、花の期間の短い桜で例年4月の中旬頃が見頃ですが、その年により時期がズレるので、見極めが難しいです。満開はもちろんのこと、ここの桜吹雪きは大変見事で、本当にピンクの花びらが雪が降るように舞い落ちてきます。

 この桜は、明治の廃藩置県で、高遠城が取り壊された後の明治8年(1876)、城趾を公園として整備する際に、河南の小原地籍、桜馬場にあった桜を植樹したのが最初です。その後の補植は同一種類のものに限られ、今では、樹齢約130年の古木20本、50年以上のもの500本、30年以上のもの300本、若木を入れて約1500本の桜の木あります。

高遠城について
 高遠城は三峰川と藤沢川に削られた河岸段丘の突端に位置し、川敷から80mもの高い丘の上にある山城の姿をしており、一般 的に平山城と言われています。

 高遠は古くから諏訪氏の勢力圏にあって、南北朝の頃よりその氏族である高遠氏が一円を治めていました。しかし、諏訪から伊那へ抜ける交通 の要衝であり、南信濃から駿河や遠江に進出するための重要な地点であったため、天文14年(1545)に、甲斐の武田信玄軍が杖突峠を越えて高遠城を取り囲み、勝ち目が無いことを悟った高遠頼継は自ら城を開いて降伏し、武田の旗下に属しました。

 武田信玄は、高遠城を伊那地方への進出の拠点とするために、山本勘助、秋山信友らに命じ、天文16年(1547)に「鍬立て」を行い、城の拡張改築を行い、その後も江戸時代にも大規模な改修がなされました。
 武田氏による高遠支配は35年間続き、城主には、諏訪(武田)勝頼や仁科盛信など信玄の近親者が就きました。天正10年(1582)、伊那谷に攻め入った織田軍と戦った信玄の五男「仁科五郎信盛」は、壮絶な討ち死にをした事で知られ、盛信の流した血は城内に植えられているコヒガンザクラの赤みにもなぞられています。

 江戸時代になる高遠藩が置かれ、高遠城は上伊那の政治の中心となり、保科氏、鳥居氏、内藤氏と約270年間にわたり領主の居城として続きました。江戸時代初頭に藩主であった保科正之公は、会津藩へ移封となり藩祖として会津松平家の基礎を築きました。内藤家の江戸屋敷は甲州街道の基点として知られ、現在は「新宿御苑」として都民の憩いの場となっています。

 旧高遠町は平成合併で、平成18年(2006)3月31日付けで隣の長谷村と共に伊那市に編入され伊那市高遠町となりました。

門外不出の高遠コヒガンザクラは、実は、東京にもあるんです。
 門外不出の高遠コヒガンザクラですが、私の知る限りで、内藤家の屋敷であった新宿御苑と、新宿区の中央公園(13本?)、世田谷区の都立蘆花恒春園(15本)に寄贈された高遠コヒガンザクラがあります。そして、何かのご縁でしょうが、私はこの都立蘆花恒春園で活動するNPO法人に、たまたま深くかかわっており、今回、高遠の古民家を購入することになる、ずっと前から高遠コヒガンザクラのお花見には来ており、高遠町の方々とも交流があったのです。

2007年4月15日、高遠コヒガンザクラ(高遠日誌の4月に掲載と同じです)

高遠コヒガンザクラ
高遠城址公園への車の渋滞です。この時期は毎日何千台もの観光バスをはじめ、乗用車が一斉に桜見物に訪れます。臨時駐車場が沢山用意されますが、とにかくスゴイので覚悟して来てくださいね。
桜雲橋
中央アルプスを望む
桜雲橋から下の池を望む、桜だらけだ
右にこぶし、左に桜、中央に中央アルプス、絶景!
可憐なピンク色の高遠コヒガン桜
水仙と桜のコントラスト
どこを歩いても桜、桜。ピンク色だ。
   
観光バス駐車場から公園を見る
観光バス駐車場から中央アルプス
 
高遠町、やはり桜が目立ちます。
 
南口ゲート近くより、南アルプスを望む
 
桜、高遠湖、南アルプス

アズマイチゲ Anemone raddeana 
(キンポウゲ科 イチリンソウ属)

池に映った鏡桜

 
中央アルプスに沈む夕陽
東京の高遠コヒガンザクラ

都立蘆花恒春園(東京都世田谷区粕谷)

 明治の文豪、徳富蘆花がトルストイの影響を受けて、農耕のできる土地を求め、ここ粕谷に移り住みました。蘆花の没後、愛子夫人により居宅と敷地が寄贈されて公園となりました。

 この公園の拡張に伴い、この公園を桜の名所としたいという東京都の思いと、高遠町のご好意が結ばれて、15本の高遠コヒガンザクラが高遠町より寄贈されました。この15本の桜は、地域住民と地域の小学校の児童らが管理(NPO法人芦花公園花の丘友の会)する2000平米の花壇の周囲に植えられ、大切に育てられています。当初、小さかった桜の木も、植樹から10年余を経過し、年々見事になっています。

花の丘に記念の銘板があります。高遠町の好意により15本の高遠コヒガンザクラが寄贈されました。都内では新宿御苑とその周辺にしかないこと、平成9年3月に植樹された時、樹高3m、幹回り10cmと書かれてあります。
植樹されてから11年目。こんなに見事になりました。
桜をはじめ四季の花々が咲くこの公園は都民の憩いの場となっています。
菜の花と桜のコントラストが美しいです。
中央の花壇は全部で5つ、地域住民と小学校児童によって種まき、花植えされています。
どうですか?高遠コヒガンザクラが東京でこんなにキレイに咲いています。
メジロも飛んできます。  
この花の丘では、毎月第一日曜日(1.8月を除く)に「花の丘フェスタ」を開催しています。
2月もちつき大会、3月菜の花まつり、4月高遠コヒガン桜祭り、5月こいのぼりまつり、6月ポピーまつり、7月七夕まつり、8月盆踊り大会、9月ひまわり祭り、10月焼き芋大会、11月ハロウィーンコンテスト、12月クリスマスツリーコンテスト、と、季節に合わせたフェスタを開催しています。
2007年の桜祭りの時のポスターです。
(実はここのポスターは私が毎月作っています。)
桜並木をバッグに模擬店が出ます。
世田谷区長はじめ大勢の来賓がいらっしゃいます。 フェスタを盛り上げてくれる和太鼓の演奏

花の丘には高遠コヒガンザクラの他にも多種類の桜が植えられています。この桜はヨウコウという大形で色の濃い桜です。
徳富蘆花ゆかりの小説に出てくる「次郎桜」もあります。

八重がとっても可愛いシダレ桜です。
高遠の皆さん、東京都の皆さん、都立蘆花恒春園、花の丘の高遠コヒガンザクラも見に来てくださいね。2008年は4月5日(土)、6日(日)に「高遠コヒガン桜祭り」を開催します。私もいますよ!